京王閣競輪場

京王閣競輪場

−それでもやっぱり古き悪しき競輪へようこそ−

利用回数25回 うち開催中13回
最終利用日 2003年8月5日



はじめに−発進!ニュー京王閣−

 私の家から一番近い競輪場が、一応、この京王閣である。私が初めて行った競輪も京王閣記念であった。しかし、以来開催中の京王閣に行ったのは、翌年の記念まで一度もなかった。
 理由は単純、私がS級ファンだからである。とにかく、この競輪場はろくなレースをやらない。
 そんなことは誰もがわかりきっていることだろうからとりあえず置いておく。設備の汚さも誰もがわかり切っていることだろう。しかし、2000年春、ホームストレッチ側で延々と工事を続けていた新スタンド建設工事が終了し、4月はじめの京王閣にしては珍しいSA戦でオープンした。
 私は4月末の西武園記念で、わざわざ場外利用と言う形でここを訪れた。京王閣の空気がここまで流れ込んできているとしか思えないような古くて汚い京王多摩川駅の臨時口を出てまず驚いたのは、何の工事もやっていなかった入場ゲートが一新されていることだった。「KEIRIN KEIOKAKU」とあるテントをくぐるといつもの京王閣庭園が広がっていたが、そこからすぐ、今まで鉄板で覆われていた新スタンドが姿をあらわすとこんなに豪華なものを作っていたのかとちょっと驚いた。それはまさに、白亜の殿堂と呼ぶにふさわしい偉容であった。本館新投票所は大テントの下と言うことは知っていたが、特観ロビーの回廊を利用した天井の高さがなかなかのものである。
 時代に合わせてなのか特観前回廊と本館1階投票所は禁煙となっていた。しかし、利用者たちは施設が新しくなっても長年通いなれた京王閣での長年の習性がそう簡単に抜けるわけもないらしく、吸殻だらけで警備員が走り回っていた。
 新本館ビルから一歩離れると、いつもの京王閣の風情に戻った。雑木と雑草を飼っているかのような庭園に囲まれていたりして、比較的のどかな雰囲気に包まれている旧投票本館は、払戻窓口を除いて全館閉鎖されていたが、場外発売時いつも利用していたテント席もそのまま残っていて、屋台村も新館1階のファーストフードコーナー(といっても、売っているものには何の変化もない)に関係なく営業していた。
 とりあえず新本館については開業おめでとうと言うことにして、京王閣のシンボルとも言える2センターの東スタンドの話に移ろう。以前からだが、この投票本館付近とここではだいぶ雰囲気も違っている。どちらかと言うと、いかにも京王閣らしいと言えそうなのがこの東スタンドである。東スタンドについては、何も言うことはない。汚い、暗いはまあいいとしても、狭いのと、身動きのとれないオッズモニター周辺の混雑と、階段をやたらめったら上がったり下がったりさせられるのを考えるとヒラ開催なんぞで京王閣まででかけようと言う気にはとてもならない。
 あといかんともしがたいのは、食い物である。競輪場の食い物レベルの標準を測るのにもってこいの焼きそばで言えば、肉なしコゲコゲ量も少ないで400円、全く客を愚弄している。投票本館のフライ小屋は各種200円、他より100円も高い。と言うか、倍もしたが、新スタンド開業後訪れたところ撤去されていた。しかし、東スタンドの隅っこで売っているたか山ずしだけは、認めようと思う。
 京王閣大改造計画は、新本館ビルに続いてバックスタンド改築が予定されている。これから京王閣は変わるのか。変わった方がよいような、変わってほしくないような。結局レースが充実しない限り行かないだろうからどっちでもいい。

これぞ世界のスピード!? 長塚智広、完全Vへまくり追い込み


 イントロダクションで「ろくなレースをやらない」と断じた京王閣だが、新スタンドオープンの今年度、6月に早くも2度目のSA戦が開催された。しかし、この開催の注目はS級ではなくA級戦に出場する長塚智広選手であった。
 周知のとおりオリンピック代表に選出された長塚選手なのだが、一般にはもちろん競輪界でも無名に近い選手で、S級にいたこともある選手なので私はレースで見たことはあったが、スピードがあると言う印象はもっていたもののそんなに目立つ選手だとは思わなかった。しかしその陰で今年1月、「君もオリンピックに出てみないか!」との触れ込みで、未知なる自転車の天才を発掘しようと素人のスポーツマンに呼びかけたはずが上位入賞はほとんど現役の競輪選手だったという「チャレンジ・ザ・オリンピック」に参加、その250mタイムトライアルで規定タイムの18秒5を突破してナショナルチーム入りを果たすと、5月のモスクワワールドカップでオリンピックスプリント日本新記録を樹立して4位入賞の快挙。6月18日のオリンピック代表選考会でもオリンピックスプリントに、神山・荒井崇博と若手・年寄り連合を組んでの第一走として出場し、1分1秒を初めて破る日本新記録で十文字・伏見・稲村組を下して優勝、オリンピック日本代表に選ばれると言うまさにシンデレラボーイが、代表決定後最初のレースとしてここに出走していた。
 成績は初日特選・準決勝ともまくり圧勝。決勝オッズは一本かぶりで、こうなると競輪ファンたるものは長塚の圧勝よりもハプニングを期待するのが定石と言うものである。冷たい雨模様で閑散の極みといった趣きのスタンドでひときわ目に付く野次将軍たちは、別線の先行屋に声援を送っていた。レースは4分戦に近い3分戦で、長塚には地元の斉藤重明が、四国コンビに岡山コンビがつけ、九州2車に南関1車の構成である。主導権はラインが長くて6番車が前をゆく瀬戸内勢が予想され、九州・関東のまくり合戦と言うのが大方の予想であった。私もそうだろうと思ったが、展開がどうなろうと長塚のスピードがどれほどのものか、じっくり見てみたいと思って長塚の頭流しで車券を買った。
 レースは、道中の位置取りは長塚が前受け、九州が中団、瀬戸内が後ろ攻め。瀬戸内勢は打鐘で叩きに上がり、長塚はちょっと抵抗するそぶりだけしてすんなり引いた。瀬戸内を追って上がった九州が中団で、南関は切り替えと、淡白な展開で長塚はホーム8番手の一本棒で通過した。隊列がバックストレッチに差しかかっても動きはなく、スタンドが動揺してきたところで九州が不発濃厚のタイミングで先にまくった。そして2センターで行ききれずに終わろうとすると、その上を長塚が捲り上げる。私はこの展開に頭まで届くかどうかは微妙だぞと思った。しかし、4コーナーから山おろし、大外を突く渾身のまくり追い込み。そして直線長めの京王閣とはいえ最後の50メーターで残る7車を抜き去った。「これが世界のスピードか!」と場内実況の声が聞こえる。
 こういう血圧の上がるレースを見せられると、ゴールした後は走った選手かのように息が上がっているのに気づく。「ああいうレースができるって言うのは、強いことは強いわ…」レース直後に思わず私はそうつぶやいた。
 ともかくこれで長塚選手は2場所連続完全優勝。来場所、中4日で出場の平塚SシはS級特進がかかった大一番となる。その時はまた改めてレポートしよう。(2000.6.23)

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NEVER GIVE UP〜小橋正義、グランプリは渡さない〜

 新スタンド開業以来始めての記念を迎えた京王閣だが、昨年前後節にそれぞれ神山・吉岡を配したメンバーから見ると、今年は神山が世界選出場のため欠場し、前節にこそ両雄を凌ぐ活躍を見せる山田裕仁が配されているものの、なんとなくメンバー的にはパッとしないと言う印象を受ける。
 それでも前節のメンバーをよく見れば、太田真一・村上義弘、斎藤登志信・三宅伸・十文字貴信、小橋正義・鈴木誠・高木隆弘、長塚智広・佐々木雄一ら、なんとなく「ふるダビ並み」といった印象の豪華な顔ぶれが揃った。
 しかし、どういうわけだが得てしてふるさとダービーもそうなりやすいのだが、主力級は次々と脱落し、決勝戦には山田裕仁が残ったもののその他は志智俊夫が引き出し役を買って出て、疋田敏その他中部二車が山田の後ろを固めて5人の中部ラインを組むというなんとなく興ざめするメンバーになってしまった。快速先行の村上義弘も残ったものの、5人のラインを相手に最初からあきらめたようなコメントを残していた。その他地元川口満宏、佐々木浩三、小橋正義が残り、それぞれ村上の番手を主張すると言っていた。
 しかし、ほとんど勝利の可能性がない村上選手の番手を本気で三車が争うとも思えなかった。特に、小橋選手はグランプリ出場権の当落線上で、何がなんでもここは優勝するしかないといった状況であった。疋田をやるか、あるいは山田をやってしまうかは十分考えられることである。
 レースが始まった。小橋がSをとり、その後ろに中部勢が続き、村上は得意の後ろ攻めで、佐々木、川口が続く。イン待ちのような態勢を取る小橋選手の姿からは周回中から何か殺気が漂っているような気がして、見ている方までなんとなく緊張感が走る。今年5月、長年住み慣れた岡山を後にし、新潟に移籍した小橋選手に一体何があったのか、本当のところは私にもわからない。
 客観的に見て、関東ラインと言う強大な勢力に加わることで、何か甘い汁でも吸えないかとでも考えているのかしらと思えなくもないが、実際移籍してみても、巨大な関東ラインの利権をそう簡単に譲ってくれるわけもなく、オールスター決勝では神山と同乗しながら栃木の中村淳が番手を主張し、別線の新田康仁に行かざるを得なかったりというのは記憶に新しい。今開催でも初日特選は太田真一がいながら地元の川口満宏がつき、小橋は十文字につかざるを得なかった。
 しかしほとんど意地だけで乗ってきたような決勝には、上記のようにもはや関東ラインもへったくれもないような状況であった。勝つためにはやってしまうしかない。
 赤板からレースは動いた。村上が上昇し、中部を抑える。小橋は引かず、志智俊夫は一旦引いて直ちに巻き返す。それに合わせて村上も引かず、イン待ち態勢のまま小橋も引かずに三車併走で突っ張り合いながら2センターを通過した。最終ホームに入ると志智が強引に出て村上は引かされ、小橋は志智の後ろに下がって中部ラインへの斬り込みに成功した。外は山田だ。山田をやるか!と一瞬見えたが、一車引くと疋田を一瞬でキメて絶好の三番手を確保した。ユニフォームだけがマジックのように変わったのかと思わせる鮮やかな捌きであった。
 そして村上の捨て身のまくりを1センターで大きくブロックし、これで山田と小橋の一騎打ちは決まった。4コーナーを回ると、小刻みに頭を振る独特のフォームで小橋が必死に山田を追い込みにかかる。「差してくれえ!」しかし、これだけの大立回りの末に、4角まで志智に引っ張らせた山田を相手に差せるはずもなかった。(2000.10.20)

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2002全プロ記念レポート−緊急提言 競輪を直ちに世界へ開放せよ−

 今回のレポートは私にとって重大な決意を持って書き始めているのだが、この全プロ記念競輪で、私はいきなり大変なことをやってしまった。スピードくじで1万円の商品券を当ててしまったのである。この際なので私が今までファンサービスで当てた品々を思い返してみると、

 2002 西武園記念 オレンジカード
 2000 立川記念 帽子
 2000 立川記念 クオカード
 1999 平塚ナイター クオカード
 1999 松戸Sシ オレンジカード

 ちなみに競輪場に足を運ぶのはこの日が146回目であったが、とまあこんな感じである。それにしてもいきなりこういう展開になるとはまったく予想していなかったのでちょっと自分を見失って、今日開設の競輪資料館を見に行こうとしていたことをしばらく忘れてしまった。
 そうこうして1レースが始まった。最近、私は京王閣ではホームでレースを見ることが多かったが、この日は雨だったため久しぶりに東スタンドに登った。バックに普通席がなくなってから京王閣はすっかり人の流れが変わり、東スタンドから人影が消えてしまった。今日は豪華メンバー、しかも雨というのに人影はほとんどなく、毎度のことながら閑散の極みといった趣があった。
 さて、4月からの競輪改革以来S級の顔ぶれがすっかり様変わりし、私はこの新体制への車券戦術にかなり悩んでいて、買い目は増えるし、3連単などとても買えない状況に陥っている。しかし今日は全員旧S級からの移行組で、以前の感覚が蘇ったかと思われたが、メインの3レースを前にめったに買わない枠連を代用で1本当てただけという惨状であった。
 9Rからは国際レースである。毎年、国際競輪シリーズ戦(毎年春、2レース3日制トーナメントで5,6戦行われている)の日本人選手の顔ぶれは怒りを覚えるほど低レベルであるが、昨年から全プロ記念にも国際レースが取り入れられ、全プロ記念だけはそこそこ充実した選手が今年も顔を揃えた。メンバーは、9Rが外国勢フィードラー−キクシス−ビラヌエバ、日本勢は岡部−佐々木龍−小倉、伊藤保−内林−山口富。ちなみに、昨年の全プロ国際レースは2レース行われ、1レース目は村上の先行に乗った内林が、キクシスのミサイルのようなまくりを振り切って勝ち(2着キクシス)、2レース目は外人ラインが崩壊し、まくった市田を松本整が差して日本人が連勝している。ちなみに、松本は今年も10Rの方に出場している。
 メンバーを見て、日本勢で何かしそうなのは岡部っぽいが、私は伊藤の方がやりそうに思えた。日本勢は外国勢との脚力差がいかんともしがたい以上、とにかく展開を有利に運んで活路を見出すしかない。日本の競輪ルールの上でなら決して戦えなくはないということは去年の実績が証明している。私は岡部が外人分断に動き、そこを伊藤がかまし先行。そして内林の連覇か、あるいは外人ミサイルが届くか、と考えた。
 しかし、私は重要なポイントを見落としていた。今年は外人ラインの先導がフィードラーだった。レースは岡部の前受け、伊藤中団、外人後ろ攻めで、赤板周回で外人勢が動き、打鐘で岡部はイン待ち体制になってやるか!と思ったがフィードラーのスピードにまったく対応できなかった。中団に入った伊藤が今度はホームでインを突き、番手勝負を試みようとするが前のスピードについていけず3番手並走の形になった。本当に観衆があきれ返ったのはそこからであった。外人3番手のビラヌエバは接触プレーを嫌って外目からキクシスを追走し、そのまま最終2センターまでついていってしまった。これでは競りにならず、伊藤は失速、キクシス−ビラヌエバであっけなく決まってしまった。
 確かに、外人勢が山口富生の横を通過した時に感じた、あまりの体格差には改めて打ちひしがられる思いがしたし、毎度の外人勢の、ミサイルのようなダッシュの力強さには圧倒される。そして10Rにはさらに強力な選手が乗っていた。ジョビー=ダイカ、オーストラリア代表。来日時はノーマークだったが、番手でまくれば追撃を許さず、強地脚に物を言わせた人気を裏切らないレースぶりで5戦終了時点でトップの賞金を稼いでいる。そして驚きなのは年齢がまだ20歳ということである。レーサーのピークは脚力は20台半ば、それにテクニックが加わって競輪では30代前半くらいまでが活躍のピークになることを考えると末恐ろしい逸材である。
 今日も外人ラインのハコ回りで、人気を集めている。日本勢は国際大会で実績豊富な太田真一がいて、番手が小橋、そして連覇を狙う松本。あとは三宅伸−小川圭。しかし私はどう考えてもこのダイカという若者以外のアタマ以外は考えられなかった。本来なら外人ラインに抵抗する筆頭は太田だが、近況の成績から評価を下げた。というか、個人的な車券上の恨みからでもあった。そして選手紹介のバンクに太田が姿を現すと、文字にするに耐えない痛烈な罵声が一斉に浴びせかけられ始め、それは決して個人的なものではないことが確認された。西武園記念の準決C9着敗退が相当効いている。それも前期A級、90点台の逃げ屋相手にやってしまったのである。このレースは私も太田の勝利を疑っていなかった。
 そんなわけでダイカから、去年の実績を買って松本、それと穴ならと小川に流してみたが、レースは外人4人で出切るとそのままブン回し、太田は何もできず、ホームで松本が敢然と追い上げマークに挑んだがスピードに跳ね返され、バックで三宅がなかなかのかかりでまくってきたがダイカが満を持しての番手まくり、そのまま後続を寄せ付けず押し切った。
 もはや私は、一競輪ファンとして緊急提言 競輪を直ちに世界へ開放せよをここに記さなければならない。今日の国際レース、日本選手のあまりのファイトのなさには絶望してしまったし、神山の復活に終わったスーパープロヒースとレーサー賞にしても、「世界の舞台で日の丸を一番高いところに掲げる」と誓ったはずの伏見の体たらくに、車券を買っていたファンは一体どこに怒りをぶつければよいものか(もっとも私は神山勝負だったが)。

 提言 日本自転車振興会は世界の強豪選手に対し直ちに選手登録手帳を交付するべきである。外国選手の強大な戦力におそらくタイトル戦線は席巻されるであろうが、それもまた良し。いみじくもトッププロと言うのなら、それを乗り越えてこそタイトルの価値があるというものであろう。もし日本選手が外国勢に屈して果てるというのであれば、日本という国もその程度であったというだけのことである。
 たかが競輪で本当にそこまで言う気はないが、ダイカの底知れぬ地脚の成長をこのまま見届けたい思いもあるし、フィードラー、ガネ、そしてルソーなどの力と技を神山、山田らとぶつけてみたいと多くの競輪ファンは考えているだろう。1000メートルを1分フラットで駆け抜けるトゥルナンの先行勝負を競輪の舞台で見られないものか。
 関係各位には直ちにこの提言を受け入れていただけるよう切に望む。(2002.5.10)


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データ編(表の見方
公式ホームページ競輪ランド京王閣競輪場
バンクデータバンクの特徴
特になし
バンクレコード山田 裕仁=10.7s(1995.10.23)
レースデータ記念
競輪
覇者
開催年度0201009998
ゴールドカップレース前節伏見 俊昭共同通信社杯
後閑 信一
山田 裕仁東出 剛神山雄一郎
後節前田 拓也吉岡 稔真高木 隆弘
特別レース開催履歴共同通信社杯(01)
ファンサービス来場者プレゼント雑貨
フリードリンク水・お茶・麦茶・乳酸飲料
予想紙黒競、競輪新聞[赤競]、競輪ニュース[青競](いずれも500円)
筆者のおすすめメニューたか山ずし(150円)
トータリゼータ富士通(新型OCR)
その他主催者と施行回数
(2001年度)
東京都十一市競輪事業組合(10回)、東京都市収益事業組合(2回)
施設所有者株式会社京王閣

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